2018
原発事故後、結婚を機に福島県に移住したのだが「Becquerel(ベクレル)」のような放射能関連の言葉・話題は、日常的だった。福島県産食品への漠然とした不安、町の中に空間放射線量計測器があること、原発関連のニュースから始まる毎日の地元ニュース…。
原発からは比較的遠い所に住んでいたのだが、福島に住む生活者としていつも原発事故後のモヤモヤ、見えない不安のようなものがつきまとい、漠然と日々どこか暗い気持ちになっていた。
それならば、巷(東京、原発とは遠い場所)で流行しているブランドのロゴTシャツ(Supremeのようば赤の四角に白抜きの単語)の形を借りて、「Becquerel(放射能の象徴として)」を自嘲を込めてファッションとしてまとえないだろうか(福島県から来た私は文字通り放射能を纏っている)、渋谷にいる奴らに何気なく自分が着て、気づいた人が文字を見て意味を理解してちょっとぞっとさせてやりたいという半ば嫌がらせ的な思いで、福島という土地で自らシルクスクリーンでTシャツに一枚一枚プリントした。
赤いインクをたっぷりのせ、スキージーをゆっくり動かして刷ると、Becquerelという文字が浮き上がってくる。まるで見えない放射能を可視化しているような感覚にもなった。また京都の個展でもこのTシャツを実際に販売し、何枚か実際にも流布することできた。
放射能の風評・風化に対して、「福島県」という現場にいた自分の生活者としてのフラストレーションが形となったのだが、果たしてこの思いはなんであったのだろうか。また8月に福島から関東圏に移住した私も原発なんてカンケーないと自然にそう思ってしまう(風化)のだろうか。
*ベクレル(英語:becquerel、記号: Bq)とは、放射性物質が1秒間に崩壊する原子の個数(放射能)を表す単位である。
思い込み、レッテルの怖さ。
けれど、リアルな本音。放射能ってなんだか怖いな。安全ですって言われてもホントかなって思う。
ファミリーで背負っていくBecquerel 。
原発問題の意識が比較的低い土地での発表で、実際にTシャツも販売し何枚か売れた。
ゲリラの気分。でも本当はなんでもない。ただの単位をプリントしただけ。
これは義理の家族写真をトレースしたもの。
人間関係を作っていく事は、時間を掛けて編むレースみたい。「家族」という人間模様を一本の糸で紡ぐ。血縁、糸へん。
綺麗な模様が浮かび上がるまで、編む手は思った以上にジンジンと痛む。
私は写真を撮る側。まだその模様にいない。終わりのない人間模様はまだ編みかけのまま。
real / un-real 2018
(左)生花、ガラスの花器、水
(右)造花、プラスチックの花器、フレグランスウォーター
本物よりもニセモノが本物らしい時もある。
また何を本物、ニセモノと定義するのかも不確実。