2回目のKUNST ARZTでの個展(1mgの愛)を終えて

 2回目のクンストさんでの個展が終わり、神奈川県に戻ってきた。そう、私は今神奈川県に住んでいるのだ。一年前は福島県からえっほえっほ京都に向かったのだった。あの頃と幾分か環境も変わり、周りの人間も変わり、私もちょっとづつ変わったのかな。日常に戻りつつも、今回の個展も自分によい刺激となって跳ね返っている。

 今回は「愛」について展示を考えた。愛ってみんなが知っている言葉だけれども、何と言われるとふんわりイメージはあるけれども説明しづらい不思議な言葉だと思っていた。また同時になんとも胡散臭い言葉だなぁとも。その愛というものを記号として器として捉え、素材の性質などと掛け合わせて、愛がなんたるかを再現というか表現してみたいというのが当初の目論見。しかし、なかなか実際に具現化するのはなかなか困難な素材もあった(貧乏なので予算も含め)。その中でなんとか周りの人の協力もあってカタチに出来たものがroomAに展示したものである。合金を自分で溶かして、愛という型に流し込んで、でもなかなか気泡が入ったりでうまくいかず、何度もやり直したり地味に苦労もあった。でもなかなか不恰好。また革で出来た愛を磔刑にした作品は、愛という文字が手を伸ばした人間のように見えたことと愛は何かしらの痛みのある犠牲から成り立っていると感じたこととの融合のつもりで形にした。もっと生っぽく、痛みの感じる作品にすべきだったかな。クタクタに。この作品のキッカケはある人へのインタビューで愛を意識的に相手に向けている、というようなことを話していて、ちょっとその人自体がかわいそうにも思えたし、愛って義務なのか?なんて思ったりもしたことから。うーん。私にはない考えだったのでとても新鮮。

 そしてroomBのものとAの作品のいくつかは、それからちょっと脇道というか飛躍して、愛にまつわる出来事、ちょっとしたストーリー、概念を取り上げた作品になった。メルカリで実際に売られていたペアリングには「forever love」と刻まれていて、誰かがそれを売りに出していることがとても面白いと思った。たったそれだけの現代の出来事を切り取って永遠の愛と名付けた。またこの展示が決まってから自分自身の修行として「愛」という文字をひたすら抜き出す作業をしていた。それらの集大成として某アイドルの歌から愛を抜き出したトラックを制作してもらった。愛をその歌詞から無くすことで逆に愛がどういうものであるか(述語などの表現から)わかるのではないかという期待を込めて。案外、愛がなくても歌は成り立つ。

まあ今日はここまでにします。

ご覧いただいた皆様ありがとうございます。

個展「ホームシック」Home-chic あとがき

おはようございます。前回のつづきです。

個展のテーマですが、日常生活での違和感(現在)+失った時間、時代への思慕(過去)の2つをイメージしていました。現在のほうは福島に移住して日々思っていることや、生活の上で普遍的なことをモチーフにしていて、過去のほうは病気で8年前に亡くなった母への後悔、申し訳なさ、母への愛情、懐かしさみたいなものが入り交じったものになりました。母はとても明るく、ギャグセンス抜群?のこども大好きな、人懐っこいけど繊細な部分もある人だったのですが、膵臓がんを患い、発覚したのが遅かったため60歳の若さでこの世を去りました。自分の中でずっと「おかあさん、ごめん。私がもっと気づいてあげられればよかったのに。こどもも見せられなくてごめん」という思いがあり、いまだに続いています。また生きていたらどんな話をするだろう、とも考えてしまいます。そして今はもう母はいないけれど、私を愛してくれていたのだろうかと確かめたくなってしまいます。そんな消化しきれない、母への複雑な思いが「homesick」(写真)に詰まっています。

京都での個展を終えて…

もう個展から一週間経つのかぁ。今福島県に戻ってひんやりした朝の空気の中、書いてます。

かなりざっくりした文章なのであしからずです。

 

クンストアルツトさんでの京都初個展「ホームシック」home-chicにおいでいただいた方、本当にありがとうございました。

こんなどこの馬の骨かもわからない者なのに…ありがとうございました。

なんとなんと、名古屋からお越し頂いた方もいたりして(ただただオーナーの岡本さんのお力です)。でもぜんっぜんお話できず、でしたが。おそらく他の用事もあって京都にいらしてたのだろうけど、めちゃめちゃありがたかったです。実感として湧かないというか。

 

この個展は…ほんとに悩みました。コンセプトというか、自分の展示を自分の言葉で考える、しかも早い段階で、というのを今までしたこと無かったので、とても自分は納得するまで時間がかかった。でもそのおかげで展示前はすごくラクだった。

 

自分の作品は割と意味の無いことというか、芯がないようなものだからみなさんに受け付けてもらえるのか、なんらかの価値があるのか半信半疑で、web上のクンストさんの画像をひたすら検索して、空間の感じをシュミレーションしながら進めました。

 

それではまた続きは次回…。

元伊勢

今日、ケータイに見慣れない番号から留守電が入っていた。そしたら元伊勢の宮司さんから、この前の福知山のインスタレーション(ハッシュタグ元伊勢)で集まった遷宮の為の募金を確かに受け取ったという旨の電話だった。

日記3

伊勢神宮では個人的なお願いごとをしてはならないらしい。元伊勢もそうなのかな。なんでもプロジェクトにする考えをたまにする。ちょっとたのしい。毎日が退屈になりつつある。外からの刺激が欲しくなる。ドライブとか電車に乗るのでも良い。田舎に住むとGPSが全然動いていない日もある。もんもんとした思いを制作、作品にぶつけるしかない。ここに住んでいたくない。旅したい。犬小屋の廃墟はなんかせつない。あああ、歯が痛い。歯が痛いと言ってたらおんなじツイートの人がいて親近感。いつか出会ったりして。歯が痛くて困る。どうしようもないけど一緒に生きてく。渋谷はホームレス。大画面でみるあまのっちの白髪がせつない。時間の経過を感じてしまった。明日も良い日。ハッピーライフ。

日記2

もやもやフライデー。歯が痛い。ぺたぺた制作しているがこれでいいのか。最近食欲すごい。太り気味。ダイソーで好きでもないクロックスもどき(うすピンク)と、アメリカ国旗柄のトイレ用ステッカーを購入する。毎回レジがつらい。クロックスが本当に嫌い。タバコの残り香がする人がいた。ちょっと嫌いになる。女性だった。赤ちゃん連れの女性がハロウィングッズで遊ぶ子どもをいい加減に注意していた。イライラした。好きでもないスーパーで買い物。こどもがこっちをキョトンと見ていた。たぶん顔がこわかったのかも。田舎のお菓子はとりあえず甘い。センスなし。なんだか鬱々としてきた。歯が痛い。ずっとそうだ。これからもそうなのかもしれない。困ったな。

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日記

今日はバイトだった。ふと奈良よしともさんの展示(愛知県。福島から深夜バスが出ている)が気になっているが、行ける時にいったほうが良いと職場の先輩が言ってて、本当に心がこもっていて、行った方がよいような気がしている。しかし片道一万円って迷うなぁ。私は奈良さんがブレイクしたとき、予備校生だったのもあって、ちゃんと見たことがなかった(予備校でファンの子がいた&青森出身なのでなんか照れくささとかで、余計遠ざかっていた)。だから勉強も兼ねてみたほうがよいかな。

となると制作時間。最近出掛けてばかりだから、自分自身の制作時間があやうくなってきている。しっかり作っていこうと思う。ちょっと試作したけど自分的にちょっとワクワクしはじめている。ピンクとラメのキラキラが好きみたい。誰になんと言われようと自分が自分のファンでいるって今までない考えだったので、新鮮。食べることに興味があったが、美術とも結びつき始めてるっぽい。(流行?)パフェとかショートケーキがぐちゃぐちゃになるのはちょっとえろいと思ってたけど、作品ちゃんと作ろうかな。食は汚くて、えろいのかな。わかんない。

最近

先週末、岡本光博さんとタノタイガさんのトークショーを見に仙台行ってきました。帰りはリボーンアートフェス見てきました〜。仙台で食べたチーズケーキがやっぱり美味しかったな。(カフェのhaven't we metさんの)今までで一番おいしいチーズケーキだと思ってる。ちょうど良いベイクド。店内は女の子でいっぱいでガヤガヤしてたので、今度は静かな時間に行って見たいなぁ。

 

リボーンはなんでリボーンrebornなのかな。生まれ変わるってことは、一度死んだのか?とか考えてしまう。音もなんかダサいなぁ。でも、展示自体はとても良かったです。行って良かった。チンポムさんの涙の展示は、福島の原発の凍土壁も連想してしまいました。ゴウゴウと鳴る冷凍室の中で肌がヒリヒリ痛くなって、凍った涙がキラッと光るのがなんとも。体験としてなんか残りそうです。青空カラオケも良かった。晴れた屋上で山と海とスナック。スコーンと抜けた感。なんか楽しくアートをやっていきたいとも思った。

 

岡本さんのトークショーもメモいっぱい取ったので見返さなきゃ。タノさんにお箸の持ち方を指摘された。うまく持てないの、箸。あれから箸を綺麗に使おうと思ってるけど、なかなかできない。一緒にいた女の子は使えなくても大丈夫だよと言ってくれたけど。だけどちょっと所作とか考えが変わったから言われて良かったかも。お箸の持ち方強制キット買おうかな。(金で解決かよ)